2012年12月04日

中央道/笹子トンネル崩落事故


■2012/12/02
PCで作業中、テレビで中央道/笹子トンネル崩落事故が起きたと報じていた

中央道のようなメジャーな道路で尋常でない事故が起きたということに驚いた

テレビを見るとトンネル出口が映し出されてた
死者が出ないようにと祈りながらPC作業に戻る

でも、ふと思った
自分も11/24のスバミは当初、中央道を使って行く計画だった
中央道は東名道よりも10分早く着く
だけど、るるるぅさんと一緒に行くことになって東名道ルートになった
事故の一週間前とは言え、通る可能性があっただけに他人事とも思えなかった

※改めて調べてみたら開催場所へは笹子トンネルの手前で中央道を降りる為、ここは通らなかったみたい

その後、「間一髪、脱出できた人が居る」というのがテレビから聞こえてきた
純粋によかったと思った
こんな報が更に続いてほしいとも

■2012/12/03
事故の犠牲者が出たと報じられ始めた
悲しいことだな
犠牲となられた方々の冥福を祈るとともに、これ以上の犠牲が出ないように祈るのみ

昼休みに毎日チェックしてる中津スバル社長のブログで、損傷したインプレッサの画像があった
ブログを読んだだけでは、何かの事故に遭遇した車なのかな程度の捉え方しかできなかった
だけど、普段の何倍もあるコメントに目が留まって、それを読んで今回の事故で間一髪助かった車両だとわかった
中津スバルの手で整備されてた車だったんだな

▼中津スバルの濃いスバリストに贈る情報
http://bfaction.exblog.jp/18222773/

書き込まれたコメントを読むと色々と考えさせられる
整理もついてないけど備忘を兼ねて

▼車に魂が宿る?
車に魂なんかない
当たり前の話
魂なんかあったら、自分の車はズボラなオーナーから夜逃げしてるはず

それでも、魂があるんじゃないかと思わせられることを何回も経験してる

クラッチワイヤーやタイミングベルト切れ、走行中のエンスト、激しい異音
他にも細々した故障は多々ある
振り返ればどれも、他車を巻き込まないタイミング、緊急避難できる場所で発症してくれてる

偶然と言えば偶然、タイミングが良かっただけと言えばそれまでかもしれない
走行中に故障を発生させてしまうような維持管理のズボラさもまずいだろうな

それでも、今現在、20年前からの愛車に乗り続けられてる

数年で手放されたり、納車即廃車になってしまう車もある中で、長年相棒として付き合ってくれてきたのは事実
車に愛情を注いではいないかもしれないけど愛着はある
長年連れ添って、心臓が止まるような故障を何度も経験してみれば、車に魂が宿るなんてことがあるのかどうか、肌で感じることができると思う

▼インプレッサだから助かった?
実際、タイミングだろうな
出口に近い場所だったと

でも車両の損傷具合やオーナーさんのインタビューを聞く限り、コンクリが当たっても持ち堪えるだけの剛性や踏ん張り、通常走行状態からの加速性能とか、この車だったからこその恩恵はあったはず
これは、この車を作った富士重のこれまでの取り組みの成果かと思う

書き込みの中に
「助からなかった方々の中にスバルの車の方々がいらっしゃたら 貴方はなんとコメントするのですか?」
という方がいた

あんなコンクリ板が直撃したら、この車両だって潰されるだろうな
富士重車だから助かったという視点ではなく、あのタイミングで他の車だったらどうなのか?という視点でみるべきだろうな

▼自粛すべきだ
こうも書かれていた
「仲間を失った者の悲しみが分かる?」
「事故で亡くなられた方々もいらっしゃいます! 自重するのが大人でしょう! 」

自分もマナーやデリカシーが無いのか、この書き込みの言いたいことがわからない

間一髪助かった人に「生きててよかった」と書いてはいけないのか
オーナーが車に注いてきた情熱の話をしてはいけないのか
助かったことが悪かったんだろうか

何がいけないのかよくわからない
スバル車なら安全だと宣伝してると捉えてないだろうか

先の大震災のときもそうだったけど、自粛、自重ってよくわからない
自粛、自重すべきだと言うなら喪に服す期間を先に明確にして欲しいと思う
喪から明ける時期って曖昧

喪に服してる間、当事者以外は何をして過ごすのだろう
普通に生活をしちゃいけないらしい

助かった人を称えちゃいけないのかな
助かった人は暫くテレビに出ない方がいいのかな
自分たちも暫く(いつまで?)は笑わない方がいいのかな

この書き込まれた方は先の大震災からの喪は明けたんだろうか
自粛、自重は解除されたのかな
解除されたとしたら何をもって解除したんだろう
自分はいまだに朝晩仏壇に向かって被災された方々の冥福と早期復興を祈ってる
それでも、笑って過ごす日々だな

敢えて言うなら

自分が死んだ時、意識があるとするなら残された家族にはこう言いたい
「先に逝ってしまった自分のことで、いつまでもクヨクヨしないでくれ」
「早く元気になって笑顔で過ごせるようになって欲しい」

これを逆にしてみると
「先に逝ってしまった自分のことを、いつまでも忘れず一生喪に服してくれ」
「笑顔で過ごせすようなことをしたら、自分のことを忘れたと呪ってやるぞ」

勿論、今回の理不尽な死別にはそぐわない話だとは思う
でも、この対比は極論なんだろうか

今回の代田さんの記事について「自粛すべき」と言う方の根底にはどんな生死感があるんだろう
 
 
posted by 五条銀吾 at 11:00| Comment(4) | TrackBack(0) | ALCYONE/その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする