ノスタルジックカー新聞を読んでいたら、ピニンファリーナさんが亡くなったと書かれていた
http://nostalgiccar.blog.so-net.ne.jp/2012-07-04
▼読売新聞(2012年7月3日22時32分)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120703-OYT1T01251.htm
以下、引用………………………………………
イタリアの自動車デザイナー、セルジオ・ピニンファリーナ氏が3日、伊北部トリノの自宅で死亡しているのが発見された。
85歳だった。
1950年代以降、高級車フェラーリのほぼ全モデルや、マセラティ、アルファロメオなど名車のデザインを手がけた。
トリノ工科大で機械工学を学び、父親の自動車修理工場を継いで、世界的な自動車デザイン会社に育て上げた。
イタリアの経済団体トップも務め、2005年に終身上院議員に任命された。
………………………………………引用終わり
氏は自分ともアルシオーネとも縁があるわけじゃないけど、偉大な方が亡くなるのは寂しいものがある
偉大な芸術家のご冥福を祈りたいと思う
デザイン系な話ついでに
ピニンファリーナと言えば、流麗/繊細なデザインというイメージがある
アルシオーネも要所要所を観ると流麗/繊細と捉えられなくもない
だけど、自分としてはベルトーネのような無機質さや逞しさ(野暮ったさ?)を感じる
そして、自分はピニンファリーナ系よりもベルトーネ系なデザインの方が好き
だから流麗なデザインのSVXには触手が動かないのかもしれない
更に、ついでに
ネット上で、初代アルシオーネのデザインはジウジアーロだと書かれているのをたまに見かける
(関与しているというのも含めて)
しかし公式な発表はされていないはず
それに、極初期段階から完成まで社内で苦労した様子が明確に書かれている
http://hj-tsubo.seesaa.net/article/183764078.html
※最下段「CarStyling_51_198507.txt」に記事全文あり
この「社内で作り上げた」というのが自分にとって誇らしいところだな
社外デザイナーに頼めば箔も付く
だけど、デザインの必然性を空力というものに求め、社内で試行錯誤したことに富士重魂を感じる
そして、これが機能美に繋がったのだと思う
更に、その結果が世間的に突飛と評されるものになったことで優越感に浸れる要素になってる
正にアルシオーネのカタログに書かれていた「Only One」な訳だな
▼アルシオーネのカタログ(a15ff11300gさんのものを拝借)

アルシオーネがフェラーリのディーノみたいに流麗なデザインだったら、どうだったんだろう?
綺麗だなとか美しいなとは思っても手に入れたいとまでは思わなかったかも
カッコいいって思えることが重要なんだな
アルシオーネは、ほんとカッコいいや
こう言うことを言うと「アルシオーネはカッコ悪いでしょ」って、頓珍漢なことを言う輩が出てくる
カッコがいい、悪いなんて万人が同じ評価をする必要なんてないのにな
アナタのカッコいいは私にとってはカッコ悪い
この考え方を受け入れられない偏狭な人は自分の優位性を認めさせようとして躍起になるしかない
他人に認めてもらう必要なんてあるのかな
自分が好きなら他人の目とか気にしなくていいのにな
無駄なことに囚われてしまうのは愚の骨頂
かわいそうなことだな
※リンク追加
「リンク集」に「アルシオーネのカタログ」を追加した
これは「a15ff11300g」さんが公開しているもの
これで、アルシオーネの当時の貴重な資料を観ることが可能になった(しかも綺麗)
▼a15ff11300gさんのサイト「Play With LEGACY RS」
http://a15ff11300g.sakura.ne.jp/
▼初代アルシオーネのページ
http://a15ff11300g.sakura.ne.jp/catalogue/AX_alcyone/AXalcyone.html
ここで紹介することを快諾していただいた「a15ff11300g」さんに感謝